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ハッピーエイジャー対談

第7回(前編)お菓子の世界からハッピーエイジングライフを求めて―今田美奈子 大いに語る!

食卓芸術家

今田美奈子

毎回、各界で活躍している方をお迎えしていきいきと年を重ねるコツについて語っていただくハッピーエイジャー対談。第7回目のお客様は、食卓芸術家の今田美奈子さんです。
今田さんは日本の洋菓子界の第一人者であり、サロンブームの先駆者としても著名でいらっしゃいます。2003年には、世界で初めて食卓芸術でフランス政府芸術文化勲章を受章。洋菓子の世界に魅せられたきっかけから、食卓芸術を通して行ってきた日仏間の文化交流活動、そして今後の新たな目標など、そのパワフルなご活躍ぶりについて伺います。
食卓芸術家 今田美奈子

お菓子人生の旅の始まり

田中舘

今田先生が海外で洋菓子の勉強を始められた時、日本はどのような時代だったんでしょうか。

今田

戦争が終わって何年かして、渡航が自由になった頃ですね。作家や芸術家の方たちは戦前から渡航していましたけれど、洋菓子に関しては海外との交流は全くなかったんです。日本にあったのは苺のショートケーキやモンブラン、シュークリームくらいでした。おやつの本でも、あんころもちとケーキが一緒に掲載されているような本があったくらいですね。洋菓子の専門家がまだいなかった時代でした。

田中舘

その頃今田先生は、家庭の主婦でいらしたと伺っていますが。

今田

はい。私が36歳の時 ― 1971年は日本の洋菓子の協会が海外との交流を始めた最初の年でした。スイスのリッチモント国立製菓学校が日本の洋菓子研修生を募ったところ、洋菓子屋さんや経営者の方やパティシエ志望の人たちなど20名ほどが集まりました。たまたま、その時の日本の洋菓子の協会の会長が私の同級生のお父様だったのです。私も外国に興味があったこともございまして、研修旅行に参加してみたいと思ったのが洋菓子の世界に入ったきっかけでした。当時私は主婦で、小学生の息子と娘がおりました。

田中舘

それより以前にも、先生はお料理の方で雑誌に紹介されていらっしゃったそうですね。

今田

もともと、私の母が料理家として取材を受けていたんです。別荘だった湯河原の家は海が見えて豊かな場所だったこともあり、東京からお客様を呼んではお料理でおもてなしをしておりました。父が仕事関係の方などをお招きしてお寿司や天ぷら、ケーキなどを作ってお出しすると大変喜ばれた時代だったんです。人数も100〜200名と大勢だったので、そのうち噂を聞いた雑誌社から注目されるようになったんですが、私が結婚すると母は引退し、私に取材を紹介するようになりました。当時は料理の専門家ではなく、自分の創意工夫で料理や育児をしたり、世の中を明るくする「主婦の鑑(かがみ)」といった人たちが注目されていたんです。そんな中、私が母にスイスの国立製菓学校の研修旅行に行く相談をしたところ、「私のしてきたことは主婦としての生活の智恵や工夫であり、一人の人間から生まれる知恵は限界があります。あなたが西欧の本物の食文化に触れて、日本の将来に役立つ本格的なものを後で皆様に教えるという覚悟があるなら、子供の面倒はみてあげるから行きなさい。」と言われてお小遣いまでつけてくれました。私はそんなお説教はどうでもよくて(笑)、とにかく外国に行ってみたい気持ちが先でした。おやつの甘いお菓子の世界に国立製菓学校があるなんて、目からウロコで本当にびっくりしましたから。

田中舘

それでご主人も賛成なさったんですね。

今田

そんな私たちの必死な様子を見て、とても反対できないと思ったのでしょうか。夫も賛成せざるを得ない状況でした(笑)。

「洋菓子の女王」誕生秘話

田中舘

それは今田先生の作戦勝ちですね(笑)。そして、期待に胸をときめかせながら、初めてスイスへ研修に行かれたわけですが、その頃日本の洋菓子のレベルはどんなものだったのでしょうか。

今田

当時はモンブラン、シュークリーム、ショートケーキがあるくらいです。私がスイスの国立製菓学校で本物の洋菓子の世界を見た時、ヨーロッパでは同じ形と名前で代々お菓子が伝承されていることを知りました。それで私はひらめいたんです。これから日本に洋菓子が広まるにつれて、今お茶やお花を習っている人たちが、きっと洋菓子を作るようになるだろうと。音楽を鑑賞したり、手芸をしたり、洋菓子を作る。こういうものが趣味のひとつとして、日本で流行るのではないかしらと。

洋菓子を本格的に勉強してみると、とても面白いので私は夢中になりました。ドイツやオーストリアなどの専門学校に、短期間勉強に行っては帰るということを繰り返して学んでいったんです。そして、本を出版することになり「ぶきっちょにも作れるケーキとクッキー」という最初の本がベストセラーになったんです。以前女子高校生の間でルーズソックスが大流行したように、女子高校生たちがみんなその本を小脇に抱えているという光景を目にしました。そのうちテレビ出演などもするようになり、洋菓子ブームの火がついたんですね。本もその後60冊以上は出していますが、何しろ当時は珍しく、工場のお菓子職人さんが何百冊と買って下さいました。

田中舘

職人さんが買うというのはおもしろいですね。

今田

実際に海外に修行に行っても制作できるのは2、3個のお菓子だけで言葉も通じませんし、配合は見せてもらえませんが、私の本には全て欧文の名前やレシピがついていましたから。

田中舘

研修では、職人さんが作っているのを見るだけなんですか。

今田

専門家にだけしか教えない学校ですので、日本人研修生は皆見るだけなんです。デモンストレーションを見学するコースでした。お菓子というのは作り方はもちろんですが、配合こそが命なんですね。私もレシピを完成させるのにずいぶん研究して、やっと完成させたんです。

それからしばらくたって「貴婦人が愛したお菓子」というオールカラーの本を出したところ、バブル時代のお嬢様ブームと重なり、大変な反響を呼びました。全国の百貨店で開催した展覧会も大好評で、まぁ、ひとつの洋菓子の時代ができたんですね。

生徒さんたちもたくさんおりまして、大変忙しい毎日でしたけれど、夫の協力や母の助けもあって育児も何とか乗り切りました。

田中舘

幸運にも当時のトレンドとぴったり重なって、日本に「洋菓子の女王」が誕生したわけですね。

今田

というより、他の方がいらっしゃらなかったんです(笑)。ずっと上の方と若い方はいらっしゃるんですが、戦争中に娘時代を過ごした世代は、教育も抜けてしまうんですね。両親が協力してくれたのも、私は小さい頃、生死の境をさまようほどの大病から生還した経験がありますので、希望を持って何かに打ち込むことはよいだろうと大目に見てくれていたんです。それに甘えてつい、打ち込み過ぎてしまいましたけれど(笑)。

バブルの絶頂期の頃には、一般家庭の奥様やお嬢様が、教養のひとつとしてお菓子を習いに来るようになりました。そうすると、ただ作って食べるだけではなくて、テーブルセッティングやおもてなし術にまで広がっていきます。すなわち、お菓子を含めたトータル的な美しい生活に通じていくわけです。

田中舘

なるほど。そしてマナーの領域にまでいくわけですね。

今田

そうですね。お菓子にまつわる文化的物語を語る演出も加えたりして。サロンには、遠方から飛行機に乗って習いに来る方もいらっしゃいました。若乃花関・貴乃花関や三田寛子さんなど、著名な方々のウエディングケーキを作らせていただいたりもしました。本田宗一郎さんのお孫さんや、ダイエーの中内さんのお嬢様など、お菓子を通じて各界の第一線で活躍していらっしゃる方たちとのご縁もでき、私はその方たちから世の中の勉強を色々させていただきました。それらの経験は一生の財産です。

ヨーロッパにおけるお菓子の役割と文化

田中舘

本当にかけがえのない経験でしたね。ところで、そのケーキは基本的にシュガーケーキですか?

今田

いえ、普通の食べられるケーキです。その次にテーブルセッティングを教えるようになって、その次にシュガーケーキと移っていきました。ダイアナ妃が現れたときに、あっ!とひらめいたんです。

田中舘

今までのお話を少し整理しますと、最初に今田先生がスイスの国立製菓学校に行かれて、その後もヨーロッパでいくつかの代表的なお菓子を、その国の歴史や文化と共に学ばれたわけですよね。ヨーロッパにおけるお菓子というのはどんな意味がありますか。

今田

なぜ外国で甘いお菓子が日々の生活に必要かと申しますと、ほとんど塩気の多いお料理で接待するので、日本の様にお煮しめなどの甘味がありません。ですから、甘味が恋しくて最後のデザートが必要になるのです。そしてそれが政治外交にもなるわけです。ビジネス外交でも最後に必ずきれいなお菓子が出ます。そしてダイアナ妃の時代が来るとダイアナ妃のウエディングケーキが話題になったので、イギリスに学びに行き、世にも優雅で美しいシュガーケーキを日本でも教えるようになったんです。

田中舘

シュガーケーキはどなたに習ったのですか?

今田

ダイアナ妃のウエディングケーキを作られたメリー・フォード女史のところに留学したんです。色々な国を訪れてひと通り食べるケーキの勉強が終わったあと、イギリスにしかない、まるで芸術作品のようなシュガーケーキについて学びました。

今田美奈子

今田美奈子氏 プロフィール
ヨーロッパ各地の国立の製菓学校やホテル学校で学び、「今田美奈子食卓芸術サロン」(今田美奈子お菓子教室)を主宰。2003年フランス政府芸術文化勲章受章。フランス・サン・バキュス美食協会より美食大使の称号、他多数受賞。日本ペンクラブ会員。白百合女子大同窓会奨学基金運営委員長。湯河原の吉浜海岸に所有する「銀河館」(軽やかな海の幸や、ジョサイア・コンドルの建築を楽しむサロン)でのサロン講座(随時開講)や各地での講演なども行っている。著書は60冊以上。

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